さて、左脳型(理系)がいかにゲームデザイナーとして優れ、
右脳型(文系)がいかに残念なのかは先日お話ししたとおりだが、
絶望するなかれ、右脳型の人にも生き残る術が全くないわけではない。
……というところから今回はお話しよう。
左脳型の人間が、右脳型よりも優れているのは、その学習能力にある。
得た情報を分析し、構築して自分の中に貯えることができるので、
必要に応じて取り出して利用する術に長ける。10インプットしたら、
彼らは10アウトプットできるので、学習に費やす時間も最低限で済む。
ところが右脳派は、情報をインプットする際に分析できずに取り込むので、
10のうち3ほどを取りこぼし、さらに、アウトプット時にも
必要な情報を取り出せずに2ほど無駄にする。
同量のインプットで出せるアウトプットの量は、左脳派10に対し、
右脳派は5。右脳派が左脳派と同じだけのアウトプットを出すためには、
倍のインプットが必要だ。あくまで概算だが、実体験に基づいている。
「同じだけ勉強してるはずなのに差がついた」経験はないだろうか。
我々右脳派は、頭の中を整理できないので、こういう結果になる。
ではどうすればよいだろうか。
単純なこと。倍の時間をかけて、倍の量をインプットすればいい。
そうすれば、漠然と考える人間でも、相応の結果が出せる。
やり方を変えず、たかだか倍の時間で追いつけるのだから、
安いものではないだろうか。
ぶっちゃけ、僕はこれを実践している。
倍の量の資料を調べ、倍の検証をして、倍の試行錯誤をしてゲームを作ってる。
左脳で考えられない僕が、それなりに遊べるものが作れている(よね?)のは、
使っている時間がべらぼうに多いからだ。
僕はゲームを作る時間を増やすために、将来も、安定も、人並みの幸せも、
友達さえも全部捨ててゲームを作ってる。
右脳で「何となくゲームを作る」人間が、人に喜んでもらえるゲームを作るには、
それだけの時間と、覚悟が必要なのだ。
逆に言えば、人の倍の時間を費やせば、ちゃんと構築できず、分析できず、
感覚に頼って作る右脳型の僕にだって、ゲームはちゃんと作れるのだ。
僕にとってゲームを形にするということ、そのゲームで遊んでもらうことは、
他に替えがたい価値があるものだから、これはこれでいいのだ。
さて、じゃあ、右脳型の人間はそんなにまでしないとゲームは作れないのか、
というと、実はそうでもない(えー)。
まず、左脳と右脳、どっちを使っているか、とはいってきたが、
実際のところは「どっちも使っている」のだ。
かなり右脳寄りの僕ですら10%くらいは左脳型の思考をする。
もし貴方が感覚でゲームを作るタイプの人間だというのであれば、
自分がどの程度右脳寄りなのかを把握してほしい。
そして、残った左脳部分を酷使することで、残念な学習方法から脱することができる。
右脳寄りの人間が、感覚頼りにものを考えるのは仕方のないことだが、
使おうとしていない左脳部分を使えば効率的なインプットが可能だ。
それはつまり「分析」や「カテゴリ分け」を、意識的に、努力してするということだ。
その癖をつけるだけでも、入ってくる情報の質は大きく変わる。
慣れてくれば、インプットはよりスムーズに、効率的になる。
そして、そうやって入った情報は、アウトプットもしやすい。
左脳派の人間には及ばないが、それを模すことは無駄ではないのだ。
貴方がもしも、感覚でゲームを作る右脳派の人間で、費やす時間も限られていて、
そのために「もう一回やりたい」「面白かった!」と言ってもらえない、
中途半端なものしか作れずにいるのであれば、
是非、使っていない左脳の活用をお試し願いたい。
結構大きな相違が出るはずだし、これをすることは、左脳的なゲームの要素を
作れるようになることにも繋がって、武器も明確に一つ増えるから。
……という、実体験に基づく何かでした(・∀・)。
理論だって考えられない、それでもゲームの企画屋になりたい、
ゲームが作りたい、そういう人の参考になれば幸いです。
ちなみに、僕が左脳的なインプットを完全放棄して、倍の時間を費やすことを
選んでいるのは、10%&程度しか左脳的思考ができないので、
この方法を使ってさえ(効果はあったものの)効率が悪かったのと、
大変でも、右脳で作る「唯一無二なゲーム」を作ることに意義を見出したから。
馬鹿なんだねー(・∀・)でもいいんだ、幸せだからー。